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第14回テーマ:友達


 学生の頃の友達は、友達ではあるけれども単なるクラスメートだったりするし、社会人になってからの同じ会社の友人は単なる同僚だったりする。

 そう考えると卒業してからも繋がってるクラスメートや、転職しても切れない同僚が友達だという気もするが、だとするとボクは友達が少ない。卒業や転職により人間関係が変わると、新しい環境での人間関係に注力する。するとそれまでの人間関係を継続するパワーが足りなくなり、どんどん前の関係が切れるわけだ。

 どのレベルまで付き合ってれば友達なのか、どれくらの頻度で会ってれば友達なのか、歳の差がどれくらいまで開いていても友達なのか、異性の友達って成立するかなど、基準が不明瞭でなんとも言えないが、当たり前のこと友達がいた方がいい。

 しかし多い方がいいとは思わない。

 自分が「あいつは友達だ」と思えて、相手も「あいつは友達だ」と思ってくれている人が10人もいれば十分じゃないだろうか?

 ベタベタすることはない。さっぱりドライな付き合いで、年に数回会って酒でも一緒に呑んでいればいい。

 たまに2人で海外にでも行くのがいい。もしくはお互いの生活圏以外の場所で会うのもいい。

 ふとしたときに思い出したり、何かあったときに思いやるくらいで十分。

「あいつも頑張ってるんだから自分も頑張ろう」という風に思える関係が理想だ。


 数日前に小中学校時代の同級生から、5〜6年振りくらいにメールが来た。

「ふとお前のことを思い出してメールを出してみた。元気にやってるか? たまには一緒にウーロンハイでも飲もうぜ」

 と書いてあった。

「お前とウーロンハイを呑んでるほど暇じゃない」

 と返信しようかと思ったが、ふと思い出してくれてるのが嬉しくて一緒にウーロンハイを呑む事にした。

 そんな感じがいいと思った。


 

 次回テーマは、ボクから。

「大人になる」

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第13回テーマ:死ぬまでにしたい10のこと

 1:自分を含めた自分以外の全てが

   そのまま在り続ける世界であるために何かしたい。

 2: 行った事のない場所3ヶ所に行きたい。

   ・アフリカ

   ・月

   ・インド

 3:自分も関係者もユーザーも

  「あれはすげー!!」

   っていう仕事を1つ残したい。

 4:金銭を含む

   借りのある人に借りを返したい。

 5:親よりも長生きする。

 6:朝起きた時に

  「今日はなにがあんのかな!?」

   という感じで1日の始まりに胸をときめかせたい。

 7:自分を見失う様な恋をしたい。

 8:ポルシェ(カレラ)を所持する。

 9:メジャー出版社から自著の出版。

10:メジャー映画会社から自作のシナリオ&監督映画。

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第13回テーマ:死ぬまでにしたい10のこと

ポールマッカートニーに会いたい
島で暮らしてみたい
孫を見てみたい
宇宙から地球を眺めたい
タイムマシンに乗りたい
5カ国語くらい習得したい
宇宙人が来るのを見たい
すべての国に行きたい
カミさんを幸せにしたい
空を飛んでみたい


次回テーマは、僕から。
「友達」。

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第12回テーマ:心ってなんだ?


心は脳にある。

心は英語で「HEART」というように
それを日本語で「心臓」ともいうように
昔の人々は、それが「心臓、或いは、胸」にあると考えていた。

いまもそう思う人は多いと思うし、「心」を示すジェスチャーでは
多くの人が、「胸」に手をあてるだろう。
「心」といって、頭に手を置く人は少ない。

「心は脳にある」といっても
「脳のどこにある」というものではない。
「心」というのは、「脳の機能」である。
「どこどこが、心ですよ」というものではない。

機能であるから、カタチはない。
カタチがないからこそ、その見えない働きを、総称として心と呼んでいる。
カタチがないからこそ、捉えられないし、不思議に感じるのだ。


なんとなく、僕のイメージしているのは、こういうことだ。

僕ら人間は、その昔、動物だった。
いや、いまも動物だけど、人間ではない動物だった。

その頃、持っていた脳がある。
それを「古い脳」と呼ぶことにする。
そこから進化する中で、脳は新しい機能を獲得した。
人間が人間であるための脳。
それを「新しい脳」と呼ぶことにする。

古い脳は、非常に動物的だ。欲求が素直だ。
新しい脳は、理性的である。人間社会的だ。

その2つの脳を持っているのが、人間であり
その2つの脳を持っているおかげで
悩んだり、せめぎあったり、揺らいだり、ずれが生じたりする。

それを、うまくバランス取ろうとしているのが
心なんじゃないかなあと思っている。

逆にいうと、そのバランスの間で揺れ動いてしまうのが
心なんじゃないかなあと思っている。


バランスを取ろうとしながらも、そこで揺れ動いてしまう。
揺れ動きながらも、バランスを取ろうとする。

それが、心なんじゃないかなあと思っている。
 

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第12回テーマ:心ってなんだ?

 2008年になりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 ボクはと言えば「心ってなんだ?」ということが心に引っ掛かったままの年明けとなり「心ここに在らず」なお正月でございましたが、今年もよろしくお願いします。

 さて「心ってなんだ?」ですが、未だ結論に至らず…。

 年末年始に呑む機会が多かったので、その都度「心ってなんだ?」ということを問い掛けてみたのですが

「心ってのはここにあるんだぜ」

 と、心臓に手を当てる人が多数。

「心ってのはハートよ」

 と、目を♡にする人が少数。

 心に誓うとか、心配するとか、心意気とか、心尽くしという言葉がありますが、ボクが思うに心ってのは精神的な反応であり、エネルギーだと思うんです。

 例えば好きな人が体調が悪いのに凄く忙しかったとする。すると「あの人、大丈夫かな?」と相手を思いやる。この思いやる気持ちが「心配」という精神的な反応だと思うんです。

 その思いやり(心配)が相手に伝わると「心配かけちゃいけないな」という感じで今度は相手がこっちを思いやってくれたりして、ちゃんと休みを取って養生する。

 そうやって心というエネルギーが人を動かしてるわけです。

 でも「心ってなんだ?」ということを本質的に捉えようとすると、単なる経験則からくる分岐的な脳の反応でしかない気もする。

 好きな女の子とデートするときにウキウキと心が弾んだり心が踊ったりするのも脳の(言って見れば電気的な)反応なら、大失敗をやらかしたときに…。

 と書いてみて思ったんですが「心」という言葉って、 ウキウキとか、ルンルンみたいなアッパーに使うことが多くて、ゲンナリとか、ブルーなダウナーにはあまり使いませんね。

 だって大失敗をしたときとか、意気消沈とか、気が滅入るとか言うけど、心という言葉を使った言い方が思い浮かびません。

 心ってのは、気分を決定づける核心なのかも。しかもアッパー方向限定で。それは即ち、人の心の核心ってのは上向きってことか!?

 徒然なるままに

 日暮らし硯に向かいて

 心に映りゆく由無し事を

 そこはかとなく書きつくれば

 怪しうこを物狂おしけれ

 犬には心がありますが、魚にも心はあるのかな?

 植物には?

 心象風景。

 心理学。

 心霊現象。

 心拍数。

 ほんと心ってなんなんでしょうね。 

 次回テーマは、ボクから。

「死ぬまでにしたい10のこと」。

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第11回テーマ:100年後を予想する

 いま生きてる人が65億人だとしよう。

 100年後の2107年12月9日に生きてる人は、いま1歳でも101歳。いま10歳なら110歳。ボクみたいにいま40歳だったら140歳ということになる。

 いったい100年後に、いま生きてる65億人のうちの何人くらいが生き残っているのだろうか?

 数百年前など、人生なんて30年、40年と言われていた。50歳、60歳なんて、生き仏というか、長老扱いだったろう。しかし医療や住環境の整備などで、どんどん寿命は延びている。今では100歳越えの長寿の人も珍しくはない。それを考えると、これからの100年で寿命がどんどん延びる可能性がある。だとしたらいま生きている65億人のうちの1億人くらいが、100年後まで生き続けるのか?

 いや、それは多過ぎるだろう。100歳以上の人が1億人もいる世界なんて想像できない。ほとんどいまの日本と同じ人口が100歳以上なんてムリ過ぎる。1億人はあり得ないから。だったら1千万人? いや1万人? 千人???

 視点を変えてみよう。

 100年後には、いまの65億人が100億人くらいまで人口爆発してるのだろうか? 地球環境での適正な人口は30億人とか50億人というデータもある。 それを踏まえると50億人くらいまで人口が減って、エネルギーや資源や食料、水などがいいバランスで分配され、環境も改善されて、争いも減っているかも知れない。しかし死亡率が高い国の水や医療の問題が改善されたら、100億人くらいまで増えている可能性だってなくはない。

 50億と100億といえば倍も違うんだけれど、100年というロングスパンで見るとどっちも有り得そうに思える。100年という時間は、それくらい分からんということだ。

 100年後だったら、地球以外の惑星に人間が住んでいる可能性だって否定できない。平成生まれのジェネレーションが仕事の現場に現れたときは驚いたけれども、100年後のゲーム業界で仕事してる未来のディレクターとかは、月や火星で生まれた新人を職場に迎えるのかも知れない。

 ボクが生きてきたたった40年の間でも、ビデオデッキや、インターネットや、携帯電話や、電動自転車や、電子レンジや、他にも色々なモノが登場した。

 これから100年を考えたら、それこそ、今の時点では予想もできないモノが日常生活に溢れているはずだ。

 そういう新しいモノで生活が全く変わるかと言えば、100年後の世界でも、人は酒を呑んでいるだろうし、煙草を吸っているだろうし、好きだの嫌いだので悩んでいるだろうし、太っただの痩せただのに一喜一憂しているだろう。人の生活の側には、いつだって犬や猫がいるだろうし、日曜日の公園には家族や恋人たちが集い、春の桜や、秋の紅葉を楽しんでいると思う。

 100年前にもやっていたことで今も残っていることは、100年の月日を生き延びて持ちこたえたこと。だから次の100年にも残っている可能性が高い。

 本当か!?

 そんなに能天気な明るい未来予測でいいんだろうか?

 これだけ温暖化が加速してれば、100年後には日本には冬などなくなってる可能性だってある。そうなると秋にも紅葉しないんじゃないのか?

 水不足の深刻さも極まって、水を巡る争いが絶えない世界になってる可能性もある。

 マスクや酸素ボンベが常時携帯される世界になっていて、外で大きく深呼吸して「あー。空気がおいしいなー」とか言えないかも知れない。 

 本当のところは100年後どころか10年後もよく分からん。

 もっと自分の皮膚感覚で言えば、1年後だってどこで・誰と・何をしてるのか分からないし、 自分も世界もどれくらい変わっているのか分からん。

 100年後は、急に100年後になるわけではない。

 いまから積み立てる1年が100回集まって100年後だ。

 100年後の世界がどうなってれば嬉しくて楽しいか、ちゃんとみんなが話し合って、揉めて、意見調整して、ネゴシエーションして、 共通の目標を打ち立てたい。

 そうやって共通目標に向かってみんなが歩み寄れば、絶対に、予想した100年後になる。


 

 ボクたちは、100年後を好きに作り変えることができる。

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第11回テーマ:100年後を予想する

100年後……。

10年後を考えるのも難しい世の中。
100年後はどうなっているのだろう。


100年前を振り返ってみると
パナマ運河の建設が始まって、ライト兄弟が空を飛ぶころだ。
日露戦争が始まり、第一次世界大戦へと流れていく。
音楽でいうと、ドビュッシーやラヴェルが現役。
ピカソが成人して、ダリはまだ生まれたばかり。

現在とあまりにも違いすぎて、イメージが沸かない。
未来というのは、その逆を考えるわけだから、さらにイメージが沸かない。


100年後。
1つ言えることは、僕は生きていないだろうということ。
もうちょっと未来になったら、また違うだろうけど。
僕たちは、「寿命があった最期の世代」とか言われるのかもしれない。


100年後、自分は生きていないだろうが
僕がバトンタッチをした息子たちは、まだ生きているかもしれない。

少なくとも、人類が、この世にまだ存在することを祈りたい。
人類が、地球で、それなりに平和で生きているといいなあと思う。


いまからちょうど100年前に
アインシュタインが「E=mc2」を発表した。

100年前のひとたちは
100年後に、地球上に人類がいなくなるかもしれない
なんて考えて、悲しくなったりは、しなかっただろう。
そう考える人もいただろうけど、多数ではないだろう。


だけど、いまでは、100年後に
人類が存在しているかどうかを心配してしまう。


昨日、タクシーの初乗りが、710円に値上げされた。
100年後のタクシー的なものは、初乗り、いくらだろう。

お金はまだ存在しているのかな?


次回テーマは、僕から。
「心ってなんだ?」。

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第10回テーマ:自由について

 27歳のときに勤めていた会社を辞めて、友人数人で事務所を設立した。どうしても作りたい企画があってあちこちへ持ち込んでいたら「これ、面白いから作りなさい。お金を出してあげるから」という人が現れたのである。当時アスキーにいたその人のお陰で企画を実現することができた。

「有限でいいから会社を設立しなさい。その方が手続きとかに便利だから」というその人のアドバイスで有限会社を設立した。

 事務所の名前を何にするか、ロゴデザインをどうするか、事務所をどこに構えるか、どんな内装にするか、どんなスタッフを集めるか…。給料の分配から、就業時間から、就業規則すら自分たちで決めた。

 会社勤めを辞めて独立してみると、怖いくらいに自由だった。

 言ってみれば無法地帯である。法律や条例などは、破れば罰金や刑事責任を問われる。そういうペナルティーがあるから考え方や信条が違う不特定多数の人間全体に機能するわけだ。しかしペナルティーも伝統もなにもない、勢いだけで集まった連中が就業規則を決めたって意味なんかないんである。

 信頼関係と熱量だけで突き進んでいた。

 その事務所は空中分解したので、次にまた有限会社を設立した。最初の反省もあって、前より少し落ち着いた事務所だった。 ちゃんと仕事して社会的にも経済的にもちゃんとしてきたら自由でなくなった。知らぬ間に偉くなっていたし、歳もとっていた。

 そして40歳になった今年、遂に、とうとうフリーになった。自分で設立した事務所にも不自由さを感じるくらいだから、人を巻き込んだり迷惑をかけないためにも、独りでやるのが進むべき道なんだと思った。

 アンケートや書類の職業欄に会社員とか会社役員と書いて生きてきた。今でも個人事務所の有限会社の取締役をやっているけれども、最近では多少の恥じらいと、チクチクする自尊心でもって「自由業」と書く様になった。

「そんなんでいいのか?」

「そんなんで大丈夫なのか?」

 という不安もあれば心配してくれる人も多い。しかしそういう不安や心配から解放されなければ自由にはなれない。自由とは勝ち取るものであり、その分のリスクを負うものなのだ。

 自由を尊重するし、自由を愛する。

 次回テーマは、ボクから。

「 100年後を予想する」。

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第10回テーマ:自由について

「自由になりたいなあ」と、たまに思う。

「だけど、自由ってなんだっけ?」とも、たまに思う。


単に逃げ出したいとか、休みたいとか
ちょっとした窮屈な思いがあるくらいで
「自由」「自由」と言っているだけではないだろうか。

なににおいても「自由」という状態なんて
社会で暮らしている限り、時間や、命というものに手を加えられない限り
あることではないし、考えても仕方がない。

だから、どこへ行っても、なにをしても
「完全自由」というものはないわけで
自ら選択した、道や場所に存在する
「制約」というものを指さして
「自由になりたい」と呟いているだけである。

「自由」というものに、「不自由」にされてしまっている。
そりゃよくない。
よろしくない。


どこかの時代の、どこかの場所のように
生まれた時点で、職業が決まっていたり
自分の好き嫌いに関係なく、配偶者が決められたり
この宗教を信じなさいと、与えられたりしているのなら
それは、ちょっと「不自由」な状態かもしれないけれど
今日現在、この場所では、だいたいにおいて、「自由」である。

仕事で忙しくなったりして
「あぁ自由が欲しい!」と叫んだとしても
その仕事を選択したのは、自分だから仕方がない。

「自由」に仕事を選んだ上での、ことなのだから。


そもそも、「自由」というのは
「不自由」があるからこそ、存在する概念だ。

「不自由な時間」があるから、「自由な時間」がある。
「表現が自由じゃない時代」があったから、「表現の自由」がある。
「職業選択が自由じゃない国」があるから、「職業選択の自由」がある。

ただ「不」がなくなっただけのことなのだ。


よほど、納得できない「不自由」がない限りは
「自由」「自由」と叫ばないほうが、よいように思う。

存在しない、或いは、存在できない
素晴らしいものを、心のどこかに置いてしまって
それによって縛られてしまう、窮屈になってしまうのは
あまりにも情けない。もったいない。
意味がないし、心が損をしている。


「自由」というものは、素晴らしいし、有り難いものだが
ただ漠然とした「自由」を、求めてはよろしくない。


「自由」……。

言葉というのは恐ろしいものだ。

「自由が丘」って、なにが「自由」なんだろう?
 

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第9回テーマ:ファッション


 例えばネットをしているときに、どこかのサイトの会員登録をすることが多々ある。そういうときに、年齢・性別・住んでる地域以外に「興味があること」みたいな括りで映画・音楽・グルメ・車・結婚・旅行・美容・占い・ダイエット・ゲーム・読書などと一緒に「ファッション」という項目があることが多い。

 ファッションとは特に髪形・服装の流行のことだそうだ。

 乱暴な決めつけをすれば、女性のほとんどが結婚・グルメ・旅行・ダイエット・占い・美容・ファッションに興味があって、男のほとんどが映画・音楽・車・ゲーム・読書などに興味がある気がする。

 気のせいかも知れないが、気のせいのまま乱暴に話しを進めると、男は男らしくありたいと思うし、女は女らしくありたいと思うのが世の常だ。しかし男は女々しく、女は猛々しいのが世界の真理って気もする。世界は常に真逆であり、ないものネダリなんである。

 だからボクはファッションに興味はない。

 だからってのは「本来は女々しいのに、40歳にもなってファッションに興味があるとか寝ぼけたことを言ってると、仕事もろくにできないくせに前髪のハラリ感ばかりに気を使っている10代の男の子みたいな本質が見透かされそう」という「だから」だ。

 だから「ボクはファッションに興味はない」とは言ってみたものの「興味はあるんだけど、一人前の男としては仕事が忙しくて、髪形や服装の流行に気を使ってる時間がないんだよね」という素振りをしてるというのが正しいのかも知れない。

 …とはいえ、茶髪どころかピンクの髪やタトゥーやピアスが当たり前になってるこのご時世で、ヴィトンやシャネルやグッチやプラダやロレックスやブルガリなどのファッションアイテムが散乱してる東京で生きていれば多少なりともファッショナブルにはなりそうなもんですが、最近買ったファッショナブルなアイテムといえばiPod touchなのかも。

 でもガジェットをファッションアイテムだと思ってる時点で、ファッショナブルじゃないですよね。