
いま生きてる人が65億人だとしよう。
100年後の2107年12月9日に生きてる人は、いま1歳でも101歳。いま10歳なら110歳。ボクみたいにいま40歳だったら140歳ということになる。
いったい100年後に、いま生きてる65億人のうちの何人くらいが生き残っているのだろうか?
数百年前など、人生なんて30年、40年と言われていた。50歳、60歳なんて、生き仏というか、長老扱いだったろう。しかし医療や住環境の整備などで、どんどん寿命は延びている。今では100歳越えの長寿の人も珍しくはない。それを考えると、これからの100年で寿命がどんどん延びる可能性がある。だとしたらいま生きている65億人のうちの1億人くらいが、100年後まで生き続けるのか?
いや、それは多過ぎるだろう。100歳以上の人が1億人もいる世界なんて想像できない。ほとんどいまの日本と同じ人口が100歳以上なんてムリ過ぎる。1億人はあり得ないから。だったら1千万人? いや1万人? 千人???
視点を変えてみよう。
100年後には、いまの65億人が100億人くらいまで人口爆発してるのだろうか? 地球環境での適正な人口は30億人とか50億人というデータもある。 それを踏まえると50億人くらいまで人口が減って、エネルギーや資源や食料、水などがいいバランスで分配され、環境も改善されて、争いも減っているかも知れない。しかし死亡率が高い国の水や医療の問題が改善されたら、100億人くらいまで増えている可能性だってなくはない。
50億と100億といえば倍も違うんだけれど、100年というロングスパンで見るとどっちも有り得そうに思える。100年という時間は、それくらい分からんということだ。
100年後だったら、地球以外の惑星に人間が住んでいる可能性だって否定できない。平成生まれのジェネレーションが仕事の現場に現れたときは驚いたけれども、100年後のゲーム業界で仕事してる未来のディレクターとかは、月や火星で生まれた新人を職場に迎えるのかも知れない。
ボクが生きてきたたった40年の間でも、ビデオデッキや、インターネットや、携帯電話や、電動自転車や、電子レンジや、他にも色々なモノが登場した。
これから100年を考えたら、それこそ、今の時点では予想もできないモノが日常生活に溢れているはずだ。
そういう新しいモノで生活が全く変わるかと言えば、100年後の世界でも、人は酒を呑んでいるだろうし、煙草を吸っているだろうし、好きだの嫌いだので悩んでいるだろうし、太っただの痩せただのに一喜一憂しているだろう。人の生活の側には、いつだって犬や猫がいるだろうし、日曜日の公園には家族や恋人たちが集い、春の桜や、秋の紅葉を楽しんでいると思う。
100年前にもやっていたことで今も残っていることは、100年の月日を生き延びて持ちこたえたこと。だから次の100年にも残っている可能性が高い。
本当か!?
そんなに能天気な明るい未来予測でいいんだろうか?
これだけ温暖化が加速してれば、100年後には日本には冬などなくなってる可能性だってある。そうなると秋にも紅葉しないんじゃないのか?
水不足の深刻さも極まって、水を巡る争いが絶えない世界になってる可能性もある。
マスクや酸素ボンベが常時携帯される世界になっていて、外で大きく深呼吸して「あー。空気がおいしいなー」とか言えないかも知れない。
本当のところは100年後どころか10年後もよく分からん。
もっと自分の皮膚感覚で言えば、1年後だってどこで・誰と・何をしてるのか分からないし、 自分も世界もどれくらい変わっているのか分からん。
100年後は、急に100年後になるわけではない。
いまから積み立てる1年が100回集まって100年後だ。
100年後の世界がどうなってれば嬉しくて楽しいか、ちゃんとみんなが話し合って、揉めて、意見調整して、ネゴシエーションして、 共通の目標を打ち立てたい。
そうやって共通目標に向かってみんなが歩み寄れば、絶対に、予想した100年後になる。
ボクたちは、100年後を好きに作り変えることができる。