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第10回テーマ:自由について

「自由になりたいなあ」と、たまに思う。

「だけど、自由ってなんだっけ?」とも、たまに思う。


単に逃げ出したいとか、休みたいとか
ちょっとした窮屈な思いがあるくらいで
「自由」「自由」と言っているだけではないだろうか。

なににおいても「自由」という状態なんて
社会で暮らしている限り、時間や、命というものに手を加えられない限り
あることではないし、考えても仕方がない。

だから、どこへ行っても、なにをしても
「完全自由」というものはないわけで
自ら選択した、道や場所に存在する
「制約」というものを指さして
「自由になりたい」と呟いているだけである。

「自由」というものに、「不自由」にされてしまっている。
そりゃよくない。
よろしくない。


どこかの時代の、どこかの場所のように
生まれた時点で、職業が決まっていたり
自分の好き嫌いに関係なく、配偶者が決められたり
この宗教を信じなさいと、与えられたりしているのなら
それは、ちょっと「不自由」な状態かもしれないけれど
今日現在、この場所では、だいたいにおいて、「自由」である。

仕事で忙しくなったりして
「あぁ自由が欲しい!」と叫んだとしても
その仕事を選択したのは、自分だから仕方がない。

「自由」に仕事を選んだ上での、ことなのだから。


そもそも、「自由」というのは
「不自由」があるからこそ、存在する概念だ。

「不自由な時間」があるから、「自由な時間」がある。
「表現が自由じゃない時代」があったから、「表現の自由」がある。
「職業選択が自由じゃない国」があるから、「職業選択の自由」がある。

ただ「不」がなくなっただけのことなのだ。


よほど、納得できない「不自由」がない限りは
「自由」「自由」と叫ばないほうが、よいように思う。

存在しない、或いは、存在できない
素晴らしいものを、心のどこかに置いてしまって
それによって縛られてしまう、窮屈になってしまうのは
あまりにも情けない。もったいない。
意味がないし、心が損をしている。


「自由」というものは、素晴らしいし、有り難いものだが
ただ漠然とした「自由」を、求めてはよろしくない。


「自由」……。

言葉というのは恐ろしいものだ。

「自由が丘」って、なにが「自由」なんだろう?